耐震強度偽装問題

一連の耐震強度偽装問題の報道で、建設プロセスはしくみとしては会計監査制度に似ていると感じる。建築主は経営者、設計事務所や建設会社は経理部門、検査機関は監査法人に例えられる。


しかし、その制度設計は会計監査制度に比べ責任の所在が明確化されていないように見受けられる。財務諸表監査であれば「財務諸表作成は経営者の責任である。監査人の責任は、それらについて (合理的な手法に基づき) 意見を表明することである。」と監査報告書で責任を明確化するところだが。建設業界は性善説で成り立ってきたという。性善説による制度運用はあってもよいが、性善説による制度設計など何の役にもたたない。


国会参考人招致でのやりとりはおもしろい。


何かにつけて逆ギレするヒューザーの小嶋社長は「圧力などかけていない」と言うが、その恫喝ぶりは圧力があったと人々に充分推認させるのではないかと思う。彼は他から何か言いがかりをつけられたように不服そうだが、来たる証人喚問の前に「建設主には監督責任という最終責任がある (からこそ瑕疵担保責任を負う)」ということを民法や建設業法に学んでおいた方がよい。設計事務所、建設会社、検査機関がどのような仕事をしようが、その責任を引き受けるのは建築主/販売者である。


参考人招致の外でも彼はまた「銀行がリスクを負わない」と不服そうであるが、事業リスクは、株主の有限責任、経営者の無限責任であって債権者のものではないことを理解していない。また 106/103% 買戻し契約では「重畳的債務負担」という名で連帯保証を被害者に負わせようとする。債務超過の危機にある会社の連帯保証を顧客に負わせるなど狂気の沙汰である。責任の所在というものをまったく認識していない。


木村建設の篠塚支店長は「法令遵守の範囲内で鉄筋削減を要求した」と言うが、「20kg くらい」と削減数量を指定し取引停止をちらつかせて設計を何度も差し返したという疑義を明確に否定しないならば、それは実質的に法令違反を命令したと肯定しているのではないか。リベートについての説明も笑ってしまう。リベートはきちんと契約で定義すれば益金不算入として扱われる立派な勘定だが、架空請求書を発行したとなれば脱税である。リベートという単語を嫌って架空請求書発行を認めるとは、問題の重要性をまるで理解していない。


イーホームズの藤田社長の「保証が不全となるのは構造的な問題だ」という答弁に「それならやめちまえ」とやじがとんだように、私も「審査・保証業務の対価として収益を受けているのだから、この答弁はない」と考えていた。が、20億円の建築物件でも20万円程度の審査料という補足情報を聞いては、構造的な問題なのだと考え直さざるをえない。確かにこれでは設計内容を担保できるような保証にはなりえない。


誰も指摘しないが、実は消費者にも責任の一端がある。合理的な価格というものを考えず、常に Demanding な消費者という存在が、建設市場の供給過多と相まってコンプライアンスを超越する過激なコスト競争を巻き起こしたことは否めない。


「責任論よりまず救済策を」と求めるのは被害者の常であり一面では正論であるが、責任が確定しなければ債務が確定しないのも正論。被害者には同情を禁じえないが、それでも「消費者は救済についても Demanding なものである」と一般論としては思う。債務が確定しない状況で誰かが立て替えるということは、保証債務や貸倒リスクを引き受けるだけではなく、人々の勘違いからあらぬ責任を負わされる可能性までありうる。安易に救済などできるものではない。


行政による救済も理論的には難しい。公共事業投資という過剰介入で供給過多構造を作り上げておき、その背景に起因して起きた今回の問題を、被害者救済のためとはいえ公的資金により建設主の倒産を回避するという決着をさせてはまったく本末転倒な行政になってしまう。


国会参考人招致から想像できるのは、これからマンション建設費は審査料、検査料、保険料などを含んで高くなるであろうということ。非破壊検査の会社の株価は上がると思い今日の取引時間前に注文を入れていたが、すでに値幅制限上限にすさまじい買い気配で、成行でも約定が割り当たらず。