反省

今日は某コンサルティング会社のパートナーとお話しする機会があった。

SOx *1 についてどう思うか?」と問われ、「リスク管理の体系的手法を企業に持ち込んだという一定の価値はあったと思う」と答える一方、「理念的すぎる面があり、実際に実務に落とし込むと企業活動を阻害する要因になるので舵取りが難しい」と述べ、「少数の資本市場に対するテロリスト (= 不正を働く人) を防ぐために、上場企業すべてが多大なコストを強いられる必要があるのだろうか、他にもっとよい方法はないのだろうか?」との疑問を付しておいた。

この質問は私の底を試していたのだと思う。その後に続く彼の話は実にインサイトに富んでいた。


―― ビジネスには割り切れないダークな部分が常に存在する。SOx に限らず、会計 / regulation とビジネスとは相反するものである。会計は投資家の資本を守ることを目的に発展してきたものであるが、資本が貴重であった前世紀はともかく、資本余剰のこの時代に投資家保護の regulation 強化が必要であろうか?

知価社会となってゆくこれからの時代に重要な要素は knowledge worker などの人的資本である。SOx は企業活動を監視することを求めるが、監視されてパフォーマンスが出る人などほとんどいない。特に knowledge worker は監視されることを嫌うものである。SOx 導入で、企業がかける (文書化などの) 直接コストよりも、監視により worker が demotivate され、引き起こされるパフォーマンス低下という見えない間接コストは相当大きなものになる。

大して重要でない資本を守るために、重要な人的資本を毀損し、社会の活力を奪う regulation 強化は時代に逆行している ―― とのこと。


...彼は公認会計士である。その彼が「何が社会・経済にとって重要・最適か」という視点で語るとき、専門分野である会計を「みみっちい」と簡単に否定する。そのバランス感覚とスケールの大きさにただただ感服。

以前、法体系の整合性のみにしか注意が向かず、あるいは安易なヒューマニズムに酔い、実体経済にそぐわない立法論を展開する法律家を批判したが、専門分野を経営全般から会計・ファイナンスに大きく傾斜させることを選択した自分は会計学の細部や技術論にいつのまにか捕らわるようになってはいなかったか、初心に返り反省する。

*1:Sarbanes-Oxley Act of 2002 : 企業改革法