知らなければ悩まないのに 〜 企業価値算定


新しいクライアントに財務・会計システム導入を提案することになり、営業担当者より協力要請を受ける。上場企業なので、経営課題を探るために EDINET で有価証券報告書を検索。連結財務諸表、監査報告書、経営環境、関連者取引などを調べていく。クライアントは M & A を積極的に行っているようだ。その資料をもって営業担当者との打合せに向かう。営業担当者から教えられるクライアントに関する予備知識を併せると、提案システムの訴求点が資料から浮かび上がってくる。


打合せの終わり際、営業担当者が言う。「クライアントの株価が下がっているんですよね〜。」ネットで調べてみると、なるほど確かに 4 年前から下がっている。ちょっとした興味をもち、理論株価を算定してみる。


まず、割引率を算定する。某証券会社の HP より事業セグメントベータの一覧を入手する。クライアントの事業分野ではβ=0.4431。金融に疎いため、利子率や市場プレミアムがどの程度か認識していないのだが、様々な HP を見ると、利子率= 1%, 市場リスクプレミアム= 6% 辺りで設定しているケースが多いようなのでこれを採用。割引率は 1% + 0.4431 x 6% = 3.659% となる。クライアントの連結 ROA は 3.01% なので、まあ妥当な値か。


次に、有価証券報告書より 5 年分の営業キャッシュフローと投資キャッシュフローを持ってきて、期待フリーキャッシュフローを作表。









 
Year 0 Year 1 Year 2 Year 3 Year 4 備考
営業CF 93.8 51.0 69.8 73.2 66.7  
投資CF 6.2 -56.2 -72.9 -52.9 -26.7  
FCF 100.0 -5.2 3.1 20.4 40.0 Year 0 の FCF を 100 とする
Year 0 からの平均FCF*1 *2 - 47.4 30.6 28.0 30.4  
 各年の「Year 0 からの平均 FCF」を先ほどの割引率を用い、DCF 法 (ゼロ成長モデル) で企業価値を算出すると ...















 
Year 0 Year 1 Year 2 Year 3 Year 4 備考
企業価値 - 5,476 3,532 3,237 3,514 推定値
負債価値 - 1,551 1,580 1,410 1,533 期末簿価
純資産価値 - 3,961 1,952 1,827 1,981 推定値
株式数 - xxx xxx xxx xxx Year 1 の理論株価が 100 となるように調整
理論株価 - 100.0 49.3 46.1 49.3 調整後
実際株価 (期末:終値) - 64.6 46.2 52.0 51.7 調整後
実際株価 (半期末:終値) - 104.2 - - - 調整後




 Year 1 では理論と実際の株価が乖離しているように見えるが、期末ではなく半期末の終値は 104.2 なので、株価はやや先行して Year 1 の後半からこの一連の投資戦略を織り込みはじめたと考えれば、この理論価格を導出したバリュエーションは非常に正確であるといえる。利子率や市場リスクプレミアムもわからないバリュエーションの素人が行った一人ケース・スタディなのに。ファイナンス理論の偉大さに驚愕。




 ここまで計算してみて気がついた。株価を押し下げている要因は M & A による事業拡大かもしれない。投資キャッシュアウトフローを発生させる事業リストラを継続せざるをえない状況になったにも関わらず、事業規模の拡大に伴う営業キャッシュインフローの増加は見込めない。事業戦略の定性面での意味もあるから一概にはいえないが、定量面からは「この M & A は株価に寄与していない」と評価されそうな財務戦略である。営業キャッシュフローを高められないならば、少なくともフリーキャッシュフローを (高い値で) 安定化させるなどして割引率を小さくしなければ、企業価値を効果的に高めることはできない。それは、事業ベータを下げるため M & A の対象をコア事業と順相関しないまったく別の事業へ振り向けるという多角化を意味する。




 コア事業分野での M & A はこの企業の生き残り戦略であろう。システム・コンサルタントという身分では「M & A はうまくいってませんよ」などとアドバイザリー・コンサルタントのようなことは言えない。システムを提案するだけなのに、経営戦略まで評価してしまった悩み。知らない方が幸せだったかも。 -- By the way, can you guess what my prospective client is ?

*1:Year 0 〜 4 の 5 年間しかデータが取れないという制約がある。

*2:期待フリーキャッシュフローのブレを抑えるために 2 年度以上の平均をとるという制約を設けた。